芽愛助産院

2020/05/12 12:38


“幸せなお産”を目指して始めた「芽愛助産院」は たくさんの方々のご支援をいただいて、この夏で12年目を迎えることができました。

誰に教わったわけでもないのに、狭い産道を骨盤の形に合わせて降りてくる赤ちゃんが苦しくないように調節されている自然な陣痛・母乳が出るなど、生命が誕生した30数億年前から脈々と受け継がれてきた不思議な命のしくみのおかげで、今ここに私たちは生かされています。

助産院では、自然なお産の進みの中で母児を見守りながら、お母さんの産む力と赤ちゃんの生まれる力を、存分に出し切っていただけるようそばに寄り添い、そのお手伝いをします。自然なお産に何度も立ち会うと、「むやみに手を出したり余計なことをしない方が安産になる」と感じることがあります。用心深く観察しながら、自然な経過を待ってみると、生まれる力と産む力が上手にかみ合って、思った以上にすんなりお産が進むことがあるのです。

助産院というところは、自然性を尊重する場所です。自然に対する謙虚さを忘れないことが、とりわけお産には大切なことのひとつだと思うのです。

ただし、自然なお産とは、何もしないということではありません。医療を否定したり、当事者だけで出産(プライベート出産)することは 、かけがえのない命に対してあまりにも無責任であり、無謀であり、決して自然ではありません。私は助産師として、赤ちゃんとご家族が、“幸せなお産”をしていただけるよう、その方の身体・心を見つめ、お産の痛みをできるだけ少なくするための努力を惜しまず、労力を厭わずに実行したいと思っています。

一粒の砂よりも小さい受精卵が3000gほどの赤ちゃんに成長して、産声を響かせる…その貴重な瞬間に立ち会える感動に、助産師という職のやりがいと責務の重みを感じます。連綿と受け継がれてきた命のかけがえなさを身をもって感じることができ、命の大切さを伝えていける仕事に就けたことへの感謝を忘れず、これからも精進していきたいと思います。

芽愛助産院院長 木村厚子


<プロフィール>
1964年、長野県生まれ。助産師。15歳から看護師になることを目指して天理高校第2部へ入学。その後、天理看護学院在学中に、助産婦学校への進学を友人に勧められ「助産婦」に興味を持つ。1985年に聖バルナバ助産婦学院卒業後、天理よろづ相談所病院の産婦人科病棟に勤務。結婚・出産を経て、長男の病気療養に専念するため復職を断念。その後、県内の産科病院・クリニック等で助産師経験を積む中で、「産む人に寄り添う助産師でありたい」と強く思うようになり、家族・仲間からの支援を得て、2007年7月に芽愛助産院を開業。好きな言葉は「花よりも花を咲かせる土になれ」。